【エニウェア族(Anywheres)】と【サムウェア族(Somewheres)】

政治
この記事は約5分で読めます。

地球上に存在する人間は、「エニウェア族(Anywheres)」と「サムウェア族(Somewheres)」に大別することができる。
この人間分類は、日本語表現では「族」という言葉を冠しているが、身体的特性に関する分類ではなく、簡単に言えば「経済面」「能力面」「技能面」での分類と考えると理解し易い。
以下にその定義と解説をしていく。

スポンサーリンク

エニウェア族(Anywheres)

「エニウェア族(Anywheres)」とは、簡単に定義すると、「どこの国でも生活していける人間」のことである。
そのため、「エニウェア族(Anywheres)」に属する人間とは、自ずと富裕層・上流層・資産家と呼ばれる人間になる。
なぜなら、「どこの国でも生活していける」ためには、どこの国にいても、必要な時に必要な人と話をしたり、必要な時に必要な物を購入したり、自身が病気になった時に診察・治療してもらったりすることができる必要が有る。
例えば、フランスで長期間生活していくためには、フランス語で話せる必要が有り、フランスでどこへいけば/どうすれば必要な物を購入できるかを知っている必要が有り、自身が病気になった時にはフランスの病院で診察・治療してもらう必要が有る。これをフランス語が円滑に話せない中下流層の日本人が容易にできるであろうか。答えは「No」である。理由は、中下流層の日本人はフランス語が話せず、フランスの地理も知らないためにどこにどのような店が有るかも知らず、フランスの健康保険に加入していないためにフランスの病院で高額な医療費を払うことができないためである。
一方で、富裕層・上流層・資産家と呼ばれる人間は、高度教育を習得することで多数の外国語で話せるか、高額かつ利便性に富んだ翻訳機をその資金力で容易に購入できるか、通訳を雇うといった方法でどこの国でも会話ができるためである。そして、このように外国語での会話が円滑にできる何かしらの手段が有るために外国での買い物も容易にできたり、あるいはその国の人間を使用人として雇って買い物に行かせることができる。さらに、外国滞在中に病気になって、かつ、その国の健康保険なり医療保険なりに加入していなくとも、自身の資金力で高額な外国での医療費を自費支払できてしまうのである。
このため、「エニウェア族(Anywheres)」の人間は、どこの国でも生活していけることから、政治的立場はグローバリズム寄りになることが多い。

スポンサーリンク

サムウェア族(Somewheres)

「サムウェア族(Somewheres)」とは、簡単に定義すると、「特定の国(主に自国)でないと生活していけない人間」のことである。
つまり、「サムウェア族(Somewheres)」とは「エニウェア族(Anywheres)」の対義語である。
そのため、「サムウェア族(Somewheres)」に属する人間とは、自ずと中流層・下流層・一般庶民と呼ばれる人間になる。
なぜなら、中流層・下流層・一般庶民は、どこの国にいても、必要な時に必要な人と話をしたり、必要な時に必要な物を購入したり、自身が病気になった時に診察・治療してもらったりするための十分な資・能力・技術力を有していないためである。
上述の「エニウェア族(Anywheres)」の説明で例示したように、フランスで長期間生活していくためには、フランス語で話せる必要が有り、フランスでどこへいけば/どうすれば必要な物を購入できるかを知っている必要が有り、自身が病気になった時にはフランスの病院で診察・治療してもらう必要が有るが、フランス語が円滑に話せない中下流層の日本人は容易にできない。理由は、中下流層の日本人はフランス語が話せず、フランスの地理も知らないためにどこにどのような店が有るかも知らず、フランスの健康保険に加入していないためにフランスの病院で高額な医療費を払うことができないためである。
それ故、「サムウェア族(Somewheres)」がある程度満たされた生活を送るには、特定の国(主に自国)で生活せざるを得ないのである。
このため、「サムウェア族(Somewheres)」の人間は、特定の国(主に自国)でないと生活していけないことから、政治的立場は自身の生活を守るためにもナショナリズム寄りになるのが本来ではあるが、現状はそうならず、世間の風潮に流されてグローバリズム寄り思想に染められている人間が国際的にも多数派である。

スポンサーリンク

解説

この「エニウェア族(Anywheres)」と「サムウェア族(Somewheres)」の定義の初出は、現時点で私が把握している中では、英国(イギリス)のジャーナリスト:デイヴィッド・グッドハートによる平成29年(西暦2017年)の著書『The Road to Somewhere: The New Tribes Shaping British Politics』(どこかに続く道――英国政治を形作る新種族)であり、この著書では、英国を含めた欧州各国の国民世論の分断現象を論じられている。
そして、この著書の関連書として、同じく英国(イギリス)のジャーナリスト:ダグラス・マレーによる平成30年(西暦2018年)の著書『西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム』が有る。

上述の定義に従うと、世界の99%の人間が特定の国(主に自国)でないと生活していけない「サムウェア族(Somewheres)」で、残り1%のみがどこの国でも生活していける「エニウェア族(Anywheres)」であるにも関わらず、現在は、日本を含めた世界各国でナショナリズム的政策ではなくグローバリズム的政策が推進されている。
国内外の政治・マクロ経済を分析・議論する際には、この「エニウェア族(Anywheres)」と「サムウェア族(Somewheres)」といった人間分類の各視点で捉えて検討していく必要が有る。

コメント

タイトルとURLをコピーしました