義務教育+高等学校の教育科目で「古典・漢文」は不要で「確定申告」は必要なのか?

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前書き

令和3年(西暦2021年)初頭頃に、インターネットで「義務教育(小学校+中学校)+高等学校の教育科目で、国語教育における古典・漢文は不要である。(または教育科目から外れる。)」という記事を見た。
私はその記事の題名からその記事が主張したいことが概ね推測できたことと別件に取込中であったことから、その記事をつぶさには読まなかったが、当投稿で述べたいことは「古典・漢文が義務教育+高等学校の教育科目で無くなるか否か」に関係無い内容であるため、その点は度外視とする。

一方、昨今のビジネス/投資/資産運用系YouTuber・ビジネスコンサルタントが会社員に対してこぞって副業を推奨しているため、彼らYouTuber・ビジネスコンサルタント自身、あるいは、彼らの動画等に対してコメントしたりしている視聴者・フォロワーが「所得税・住民税の源泉徴収は日本政府が仕組んだ悪魔のシステムだ。それに確定申告の仕方は複雑で誰も教えてくれない。だから、確定申告を義務教育で教えた方が良い。」といった類の主張をすることが令和2年(西暦2020年)頃から増えてきた。

上記主張を踏まえると、義務教育+高等学校の教育科目で「古典・漢文」は不要で「確定申告」は必要、ということになるが、私は下記理由から、上記主張は令和3年(西暦2021年)現在の日本国の現状を踏まえると非常に危険な意見だと分析している。
それは、「古典・漢文」は不要という主張単体で見ても、「確定申告」は必要という主張単体で見ても、これらを組み合わせても同様に考えている。

【補足】
当記事中で、「古典・漢文」は必要/不要、「確定申告」は必要/不要、という論点を述べるが、これは「国語」「数学」「英語」を含めて、□□の科目の教育は必要か不要か、というのは個別科目毎に絶対的に断ずることができるものではない。
過去・現在・未来の国内外の政治経済状況を加味したり、1年間~3年間(小学校の場合は6年間)という有限の時間割の中での他科目との学習時間のバランス等々を考慮に入れる必要が有る。
従って、当投稿での私の主張は、令和3年(西暦2021年)現在での日本国が置かれている国内外の政治経済状況の下での見解である。

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「古典・漢文」の教育は不要か?

世間一般では、「古典・漢文」を学習しても日常生活で使わないから、学習する意味が無い、という意見が少なくない。”日常生活での即効性”の観点では、この意見自体は紛れもなく正論で、私も完全同意する。しかし、思慮に入れるべきは”日常生活での即効性”のみではない。
令和3年(西暦2021年)現在での日本国が置かれている国内外の政治経済状況下では、「古典・漢文」の教育は「有った方が良い」と私は考えている。
「古典・漢文」の教育の意義は複数有るが、それらの多数は他の文献に任せて、ここで私が主張する意義1点に限定して述べると、それは現在の日本国の政治・経済に関する重要論点である「歴史認識問題」である。
以下、政治・経済に関する見識が乏しい多数派の日本人へ向けての説明用に国家を人間に例える。あなた(人間)が30歳の人間として、「自分の0歳~20歳の時の記憶を喪失」し、「自分が0歳~20歳の時に使用していた言語の読み・書き・聞き・話しができなくなった」としたら、あなたは困らないだろうか?間違い無く、あなたは困るだろう。その困る状況とは、例えば、あなたは「自分の0歳~20歳の時の記憶を喪失」していることから、自身の過去の記憶を想起して自分の特性(性格・得意分野・不得意分野)を正確に分析して将来に活かすことができなくなる。そして、自身が無罪者か有罪者かの確固とした確証を持って生活することができなくなる。自身の過去の記憶が無くなったのだから、悪意の第三者が証拠を捏造する等であなたが15歳の時に犯罪を犯したとでっち上げられても確信を持って自分が無罪だと対処・対抗できなくなる。そして、仮に自分が無罪である証拠を示そうにも、あなたは「自分が0歳~20歳の時に使用していた言語の読み・書き・聞き・話しができなくなった」のだから、あなたが0歳~20歳の時に犯罪を犯していないことを示す決定的な文書・音声等の証拠が有ったとしても、あなたはそれを読み・聞きができないのだから、その証拠を発見することが困難になり、仮にその証拠があなたの身近に有ったとしても、その内容を理解することができなくなるのである。このような理由から、「自分の0歳~20歳の時の記憶を喪失」し、「自分が0歳~20歳の時に使用していた言語の読み・書き・聞き・話しができなくなった」30歳のあなた(人間)は、無罪放免の正常な人間であったとしても、悪意の第三者によって簡単に犯罪者に仕立て上げられてしまうのである。
この30歳のあなた(人間)の例は「国家」に関しても同様で、これを日本国に当てはめて、仮に日本国が西暦1700年以前は古文・漢文で読み・書き・聞き・話しをしていたとして、令和3年(西暦2021年)現在の日本国が古文・漢文の読み・書き・聞き・話しができなくなったとする。そして、他国から「日本国は西暦1500年に□□という犯罪を犯した有罪国だ」「日本国は西暦1500年以後の■■の所有権を主張しているが、それには証拠が無い。一方、我が国(日本にとっての他国)は西暦1400年以後に■■を所有していたことを示す決定的証拠(但し、これは捏造証拠)が有る」と言いがかりを付けられたとしたら、日本国はそれに対抗することができない。何故なら、全ての日本国民が古文・漢文の読み・聞きができなくなったために、西暦1700年以前の日本国自身の行いを分析・振り返りをしたり、国内に「古文・漢文で記された日本国が□□で無罪である/■■の所有権を有する文書証拠」が有ったとしてもそれを解読することができないためである。このように、他国との過去・現在・未来の全ての観点から対等な外交をするためにも、古文・漢文の読み・書き・聞き・話しが多少でもできる、あるいは、古文・漢文の存在自体を知ることができるという1点を見ても、古典・漢文の学習は意義有るものなのである。そして、この例示において、日本国が古文・漢文で読み・書き・聞き・話しができなくなった場合、西暦1700年以前の日本国を振り返り、分析することができなくなる。そうなると、温故知新によって未来を切り開くことができなくなるという問題も有る。
上記のような意見を聞かされても、政治・経済や義務教育+高等学校の教育課程の意義への理解が浅い大半の日本人の中には、「そうだとしても、それなら一部の専門家だけが古典・漢文を学習・研究すれば良い。」という者も間違い無くいる。ただ、義務教育+高等学校の教育課程の一切から古典・漢文を取り除くと、「日本人が古典・漢文の存在自体に気付く/好奇心を持つ」という機会を決定的に逸してしまうことになり、ひいては、古典・漢文の専門家になる日本人も確実に少なくなり、古典・漢文の専門家の頭数が確実に減ることになる。
それ故、令和3年(西暦2021年)現在での日本国が置かれている国内外の政治経済状況下では、日本国の「安全保障」の観点から、「古典・漢文」の教育は「有った方が良い」と私は考えている。

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「確定申告」の教育は必要か?

昨今のビジネス/投資/資産運用系YouTuber・ビジネスコンサルタントが会社員に対してこぞって副業を推奨しており、彼らYouTuber・ビジネスコンサルタント自身、あるいは、彼らの動画等に対してコメントしたりしている視聴者・フォロワーは「所得税・住民税の源泉徴収は日本政府が仕組んだ悪魔のシステムだ。それに確定申告の仕方は複雑で誰も教えてくれない。だから、確定申告を義務教育で教えた方が良い。」といった類の主張をしている。その主張する内容”自体”に関しては私も同意である。異論は無い。さらに言えば、「確定申告」を含めた「税務」「納税」に関する教育”単体”で見れば、私は教育すべき内容であると考えている。
ただ、令和3年(西暦2021年)現在での日本国が置かれている国内外の政治経済状況下では、「確定申告」の教育はある意味で「無い方が良い」と私は考えている。少なくとも、「古典・漢文」と「確定申告」の二者択一であれば、私は間違い無く「古典・漢文」の教育の方が必要だと断ずる。
その理由は、前述したYouTuber・ビジネスコンサルタント自身、あるいは、彼らの動画等に対してコメントしたりしている視聴者・フォロワーが「確定申告を義務教育で教えた方が良い。」というのは、彼ら自身の下記2点のような利己的(自分さえ得をすれば他人や社会がどうなっても良い)な動機に立脚した提言であるためである。

①彼ら自身が(確定申告上で「事業所得」「雑所得」として申告する)個人事業主として副業・兼業・複業をするためには確定申告が必要であって当該知識が必要であること。
②自身が確定申告を行う過程でふるさと納税やiDeCo等を活用することで節税をしたい。

勿論、私も前述したYouTuber・ビジネスコンサルタント自身、あるいは、彼らの動画等に対してコメントしたりしている視聴者・フォロワーが上記2点を通じて幸福な日々を送ることは問題無いし、むしろそうであってほしいが、上記①に関して、個人事業・法人事業を営む経営者または副業・兼業・複業をする会社員が増加すると、以下の投稿で述べたような「合成の誤謬」が生じることから、目先の1年~3年程度の短期目線であれば問題無くとも、3年超の長期目線では彼らも「事業所得」「雑所得」も尻すぼみとなり、最終的には彼ら内の大半の幸福感も低下していくことになる。これは現在の日本国が緊縮財政政策を遂行していることから、簡単な表現をすると「ある日本人の得は他の日本人の損」となり、ゼロサムゲームのような状況になるためである。

【ミクロ経済(学)】と【マクロ経済(学)】と【合成の誤謬】と【副業】
ミクロ経済(学) 「ミクロ経済」とは、”分かり易い例えをすると”、特定の各種政策・法律・税制といった環境条件を所与として変えられない状況下の、1個人または1法人の視点での経済のことである。上記を踏まえて、「ミクロ経済学」とは、これらの与えら...

そして、上記②のように節税をしようにも、節税策の内の「ふるさと納税」は、以下の投稿で述べたように、最終的には中下流層の首を絞める結果となる致命的欠点を有しており、iDeCoも別の理由で特に若年日本人である程に推奨できない決定的理由が有る。それ故、政治・経済に関する見識が乏しく、マクロ経済観点での思慮ができない多数派の日本人を上記②のような利己的発想に誘導しかねない「確定申告」の教育は、現状では望ましくないのである。

ふるさと納税の3つの致命的欠点
昨今、日本人のビジネス/投資/資産運用系YouTuber・ビジネスコンサルタントがこぞって「ふるさと納税」の利用を推奨しているが、「政治」「マクロ経済」「安全保障」の観点から、「ふるさと納税」には以下で述べる3つの致命的欠点が有る。 これら...
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総合的結論

上記理由から、令和3年(西暦2021年)現在の日本国の現状では、義務教育+高等学校の教育科目で「古典・漢文」は必要で「確定申告」は不要、と考えている。
上記理由を要約すると下記3点の要因である。

①「古典・漢文」の教育をしないことによって、現時点でさえ政治・経済に関する見識が乏しい大多数の日本人の政治・経済の知識低下の促進、中でも「安全保障」に関する視点のさらなる欠落を招く。
②「確定申告」の教育をすることによって、現時点でさえ政治・経済に関する見識が乏しい大多数の日本人のYouTuber・ビジネスコンサルタント自身、あるいは、彼らの動画等に対してコメントしたりしている視聴者・フォロワーのような利己的(自分さえ得をすれば他人や社会がどうなっても良い)思考をする人間の増殖を招く。
③上記②の日本人が「確定申告」ひいては「節税」をしても、長期的な結果としてはそれら日本人自身の貧困を招く。

上記のYouTuber・ビジネスコンサルタント自身、あるいは、彼らの動画等に対してコメントしたりしている視聴者・フォロワーのような利己的(自分さえ得をすれば他人や社会がどうなっても良い)思考の日本人が上記内容を見れば、私が彼らの狭い見識や思慮の浅さ等を批判しているように解釈されることが有るだろうが、私は彼らの狭い見識や思慮の浅さ等を一方的に批判するつもりは無い。
その理由は「彼らの大半は自ら意図的に狭い見識や浅い思慮しかできない人間になったわけではないため」である。この意味はあえてここでは詳述しない。私がここで詳述しない理由は、正に政治・経済に関する一定の見識が有る人間であればある程度推測できるものである。それが推測できないようであれば、それはその人間の政治・経済に関する見識が乏しい故である。そのような日本人にはなおさら、「確定申告」の教育よりも「古典・漢文」の教育を施して、「古典・漢文を学習する意義」を理解させた方がその日本人自身のためにもなるのである。

コメント

  1. より:

    「エニウェア族とサムウェア族」の記事から当該記事も拝読致しました。
    お考えに賛同し、貴殿の様なお仕事の方がそういった発信をされる事に強く感銘を受けます。
    僭越ながら、今後も変わらぬご活躍を心より祈念致します。

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